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2016年2月

2016年2月19日 (金)

むくむく-4-

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一週間があっけなく済んでいく感覚です。

このまえここに記事を書いてから、一週間が過ぎる。

なんだかあっけなくって、あっけなくって、あきれるばかり。

こうして日々が過ぎていきます、なにしてるんですか。

あっけない、一日、あっという間、一日、そんな思いです。

でも、こうして、書いていくと、記録が記憶を呼び覚ます。

フェースブック5年が過ぎたとか。

最近、いいね!をつけてくれるひとが増えた。

でも、少ない、少ないから滅入ることも多々あります。

興味引く内容じゃないのだろうね、きっと、でも、でも。

うううん、やっぱり、本音なんて書けないから、ね。

それとなく書いちゃうと、引けてしまうのかも、なぁ。

駄文、屑籠へ入れなきゃ、こんな文、ゴミだね、まるで。

写真は大徳寺境内の祠にある鬼子母神さまです、今年も撮った。

2016年2月12日 (金)

むくむく-3-

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掲載する写真に言葉は必要かと問われれば、どう答えましょうか。

説明なら必要かも、だとすれば説明できる写真なんて、掲載するなよ。

表現された写真は、説明できなくてもいいわけで、言葉はいりません。

言葉を使うのは詩人か小説家、それから批評家、でしょうか。

写真を撮って見せるのに、言葉がなくても、それじたい、成立します。

その価値は感動にゆだねられる、引き起こす感動の多寡による、なんて。

写真と言葉、イメージの独立をいうなら言葉から独立せよ、ですね。

言葉が不要、そういう写真も多々あるということに論及しておきます。

なんのこっちゃ、ことばが紡ぎだせないという人のために、助け舟です。

2016年2月 8日 (月)

むくむく-2-

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今年もまた節分の日が来て取材した。

京都に生まれ京都に育った環境から、地場を取材することになる。

多くの人は故郷を遠くや近くに持っている。

ところが私には故郷がそのまま生活空間なのです。

いいのかわるいのかわからないが自分ではわからない。

このようにしてこれから先も暮らしていくのだろう。

2016年2月 5日 (金)

むくむく-1-

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何といえばよいか、ああ、文字入力ができる。

この前まで文字が入力できなくてどうしょうかと思っていました。

このブログもだいぶん古いです。

ネットワークへの機能もあまりよくないと思っています。

ただ、これまでの積み重ね、フォトアルバムとか作っているし。

消してしまうのももったいないと思って、時折記事を書いています。

内容は、まったく何をどうしたいのか、不明にしています。

10年ほど前に「むくむく」という文字を使いだしました。

無垢、無苦、このふたつのむくを連ねたのが「むくむく」でした。

生きていくことの理想の境地というか、そうゆうことでした。

いまや筆者が古希を迎え終えて、あとはたんたん、淡々、というところ。

と思いしや、そんなに甘くはなくって、日々、苦しいわ、陰惨です。

暗澹たる気持ちになってきます。

もう未来があまりないと思うことが、その主たる原因かもしれない。

ナイーブな心が疼く、壊れてしまいそうな感性、それを支えています。